Studio Tommeg ブログ

自然から受けたインスピレーションを大切にモノ作りをしています。

アメリカで手術 4日前

手術を4日前に控えた2月の5日、病院から保険や、既往歴などに関する
確認の電話がかかってきた。

しかも5回も(笑)
来客中だったし。

・手術を受け付けた人
・手術室の予約をした人
・採血を担当する人
・保険を確認する人
あとは覚えていない。

聞かれる内容は毎回ほぼ同じで、保険会社、保険の番号、本人の名前、
緊急連絡先、既往症(これがすごく多い(笑) 糖尿病か?心臓に問題はないか?
血が止まりにくいと言われたことは?に始まり家族にそういう人はいないか?)
と、まぁ普段は使わないメディカル英語がふんだんに盛り込まれていて
これはちょっとした英会話のテストではないかと私を疑ったくらいだ。

さらには、これと同じことを別々にかかってきた5回の電話に毎回答えたのだ。
同じ大きな総合病院内でのことなのだから横のつながりはないのか?
データの共有はしないのか?とも思ったのだが、おそらく個人情報保護の
関係なのだろう担当があまりにも細かく分かれていて驚かされた。


↑ そんなこんなでバタバタしていたら、夜になってGIULIAのお腹や首に
赤いブツブツが出ていました。保湿ローションを塗って様子見です。
きっと繊細なGIULIAのことだから私の不安を感じていたのでしょう。

そして、次々にかかってくる電話の合間に「明日、採血に来て!」と。

エェっ ^_^;

痛くて歩くのもやっとなのにそんな突然にこいと言われてもねぇ。
しかも、何時でもいいと言いつつ、何時に来るのか尋ねられ、
ちょうどアレルギーショットの日だからその後に行くとだけ伝えた。


↑ ラッキーなことにカマロのシートは痛くないので、術前最後のドライブ!

採血。
これはいつもパーフェクトにうまい!!

仕事が細分化されているアメリカだけに採血は採血専門のスタッフなのだ。
日本のように「スーッとしますよ。」「ちょっとチクっとしますよ。」
なんてさらに緊張させられることもなく、
「今日も寒いわねー、あ、横の彼女は研修中なのよ、よろしくね。」
などとおしゃべりしているのでいつになったら始めるの?と腕を見たら
そこには赤黒い血が満たされた4本の試験管が!

いつ抜いたの?!


本当に採血はアメリカが120点。
日本では、血管が細い、血管が逃げる、血圧が低すぎると何度も針を刺され
挙げ句の果てに「血が出ない」とか言われるのよね〜

ちゃんと、赤い血流れてますけど!って文句言う前に気分が悪くなるのです。


さ、そんな術前の抜打ち英会話テストやら採血の試練を乗り越え
直前の週末には無事手術が終わった後のための洋服や宝くじを買いました。


↑ 大好きなBCBGでまとめ買い。春物だけど。

ほら、宝くじはよく言うでしょう、当たると良くないことがあるって、
だからハズれたら上手くいくんじゃないか?っていう願掛けです。

さ、いよいよです。

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アメリカで手術

突然ですがこの2月の10日に手術を受けました。
といいますのも、この1年の間、左のお尻から足のつま先にかけてのしびれと激痛に
耐えきれず日々うつぶせでの生活をしてきました。

たまたま左足だったので車の運転はできましたが、ショッピングモールやスーパーに
着いても痛みのせいで車から降りることもできずそのまま引き返してくるように。
またキッチンに立ったり掃除をすることもままならなくなって
生活にも支障が出るように、また歩行が困難になってきていました。

おそらく2013年の12月にクロスカントリースキー中、石の上へ尻餅をついたことが
きっかけではないかと思っています。

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もちろんそれからこれまで何もしていなかったわけではありません。
アメリカの保険システムの都合上、まずはホームドクターという総合内科のような
ところにかかります。そこで、レントゲン撮影を行い、まずはフィジカルテラピーを
受けるように勧められ週に2回ストレッチだとか筋トレをしに通いました。
保険の関係上8回でワンセット、1ヶ月経つ頃にまた再度ホームドクターに
予約をして経過を診てもらいますが、なかなか予約が取れないこともあり
それを3回繰り返した時には夏になりました。

日本ではこういう場合すぐMRI撮影などを行うと思いますが、アメリカの場合
保険の関係でフィジカルテラピーを受けないとMRI撮影に保険が使えません。

自費ですればいいじゃないかと思いますよね?

ですが日本だと自費でも2万円もしないし3割負担ですが、
アメリカだと20万円近くします。

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ちなみに我が家の保険は最初から総合病院など好きなところを自分で選べるので
ホームドクターも地元の大型総合病院ですが、アメリカは各専門医が敷地内に
ここのオフィスを構えるというスタイルなので横の連携はありません。
しかし、ようやく Orthopedic(整形外科)の専門医を紹介してもらい
MRIを撮影した頃には症状もひどくなっていて椎間板損傷と言う結果になりました。
さらにその診断をしてくださった先生はその部位の専門医ではないと言うことで、
今度は Brain and Spine(脳と背骨の専門医、脳神経外科?)にかかることになりました。
ここまで各先生の予約を取るのに1〜2ヶ月かかるため、結局この時期になってしまい
最終的な先生に出会った日に手術の日を決めると言うなんとも急な結果になったのです。

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痛み止めのブロック注射をする方法などもネットで調べていたので質問しましたが、
確実に治る保証がなくその日に撮ったレントゲンを見た先生が手術しかないと
決断をされたのでもうそこへゆだねるしかありませんでした。
手術の日にちも帰宅してから夫と相談と言ったのですが、もう1日も早くと言う空気の中、
最短でも2週間後になると言うことでしたのでその場で書ける範囲の書類にサインをし
仮予約をすると言う形で帰宅しました。

医療費が日本の10倍かかるアメリカ、100万円コースか?
術前に術式やおおよその費用に関する説明が一切ないためかなりドキドキでしたが、
費用に関してはこの1年の苦しみを見てきたTomoが背中を押してくれました。
あとは入院期間についてネットで調べると日本の場合2〜3週間の入院が必要と分かり少し悩みました。

しかし、入院日数を聞くとなんと「朝くれば夕方には帰れるよ」と…え?!日帰り?!
もしかして、局所麻酔なの?

傷も3mmくらいだと。
え?どの術式?レーザー?

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アメリカと言えば訴訟の国、手術をするためにサインをしなければいけない書類は
10枚を超えていました。法務関係やビジネス英語はもちろんTomoの方が得意ですが、
医療用語となると私の方が詳しいので手持ちの辞書ではなくネットのメディカル辞書
を頼りに自力でがんばりました。

中には万が一の場合どの程度蘇生をしてほしいか自分の希望を書くものもありました。
・心停止時の電気ショック
・自発呼吸がない場合の機械による呼吸器の使用
・胃チューブによる流動食
・静脈注射(←これの意味が分からなかった。何を注射するんだろうね?)
などなど。

これには心臓の電気ショックと静脈注射以外は希望しないと書いたのですが、
術後に妹から最後の別れをするために10日は機械でいいから生命維持していて
もらうようにと言われ、
あぁ、日本の家族のことを考えていなかったなと反省しました。

と、まぁこんな決断もさせられる中、結局術式も麻酔の方法も不明で
謎は深まるまま、手術日までの2週間を過ごしました。


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アメリカで手術 当日

とうとう迎えた2月11日、手術の当日です。

日帰り手術ですが、麻酔をかけるので自分で車運転して帰ると言うわけにはいきません。
万が一のことを考えてTomoが休みを取り、一日付き合ってくれました。

ここ数日は立っていることも、座ること、横になること
何もかもが激痛で脳の電源をオフにしてしまいたいとそればかり考えていました。
だから全身麻酔をかけることも、もしそのまま目が覚めなくてもこの激痛の日々が
終わるならそれはそれでいいと「万が一」のことが希望に思えてくるほど
心は疲れていました。

「箸より重たい物は持ったことがない」なんて例えがありますが
この頃の私は箸を持つのも激痛だったんです。腰が痛いのに?
そうなんです、人間の筋って繋がっているんですよね、ちょっとした動きでも
お尻の筋肉って使っているんです。


ま、そんな変な希望もあり(笑)、恐怖心や不安はない私と
「万が一」が心配でならないTomoが到着したのは予定より少し前の時間。

いつも通っていたアレルギー科や脳外科のあるメディカルセンターではなく
メインの建物の受付へ。案内され二階へ。
そこでTomoはiPhone2個分位のUFOみたいな呼出装置を渡され
私は手術準備室へ案内されました。 


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↑患者の状況はこのモニターに表示され、家族にだけ分かるようになっています。


奥行きがある広い部屋は真ん中にベッドがターンできるくらいの幅の通路があり
その両側に壁で仕切られた個室がズラッと並んでいます。 

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 ↑ 朝見送ってくれたGIULIAと、その手術準備室

 術衣に着替えてねと手渡されたのはペラッペラの浴衣のようなもので
着方を確認したら背面で紐を結ぶタイプだった。

ちなみに紐を結んでも布は交差しないのでパンツも履いていないお尻が
丸見えになっています。で、知人はこれを前結びに着てしまい
布団をかぶってベッドで待っていたら担当の看護師さんがラインを取る際
確認しようと布団をめくって絶叫されたそうです(笑)

ちゃんと確認しておいて良かった。

着替えが終わると本人確認担当の人、保険を確認する人、既往症を確認する人
採血の結果を報告に来る人、と、また細分化された担当者が次々に来て
あれこれサインしたり・・・思いの外時間がかかります。




そして、もう手術室に行くのかな?と思った頃、ラインを取りにまた別の
看護師さんが来ました。まだ新人なのか緊張した感じだったので、
リラックスよ〜と私が声をかけ、、、と、「Oh!」
見ると腕から血がピューっと(笑)

血まみれの腕や床を見たらTomoが倒れちゃうと思ったのでお掃除してもらい
なんとかライン取りも完了。この時すでに安定剤の投与が始まっています。

そんなこんなで準備ができたのでTomoが呼ばれ準備室の私のベッドへ
やってきました。




手術部位の確認、アレルギー科からは薬などのアレルギーの確認が行われ
麻酔科医が来て麻酔の導入が始まりました。この時にはじめて全身麻酔で
あることを知りました。

2019021122221303c.jpeg 
↑事前説明なかったので。 

更にふくらはぎに血圧を測る時のラップの巨大版みたいなものを
巻きつけ、スイッチを入れると左右交互にマッサージをしてくれます。
血栓防止でしょうね。

と、不意にお手洗いに行きたくなり、そばの看護師さんに伝えると
点滴のバッグを持ってくれて、ついて来なさいと案内された。
日本でよくある点滴をぶら下げて持って歩けるアレはないようです。

一応トイレの個室内には点滴袋を下げるフックがついていたのでそこに
ひっかけておけます。で、帰りは誰もサポートがいなかったので自分で持って
歩いていたら数人いた看護師さんが慌てて走り寄ってきます。

なんと、お尻全開(笑)
点滴袋の高さを維持することに気を取られて術衣を掴んでおくのを
忘れていました。胸はOKでもお尻の谷間を他人に見せることはダメらしい。




そこからまたしばらく時間があり、暇つぶしに持ってきていた
メキシコの本でスペイン語の勉強をTomoとしていたけれど
たぶん私よりドキドキしていたんだと思う。

と、「やぁ、こんにちは、気分はどうだい?リチャードだよ」と
Marron5のアダム似の執刀医が手術部位の確認にいらした。
「君が痛いのはどっち側?」左です。
そう答えると、右を下にして横なるよう言われ、先生が何やら
マジックで手術部位に印をつけ、サインをしているようだった。
ま、マジックで書いちゃうんだね。




間もなく手術室へ連れて行ってくれる看護師さんがやって来てそのベッドのまま
運ばれていきました。途中何か会話したような気がするけれど、
この頃には麻酔も効き始めていて、私の記憶は手術室が思ったより
簡易的で小さいなというところで途切れた。




ふと目が覚めた。
さっきと違う部屋だな〜

「おーい!手術終わったよ〜」
ん?終わったの?
ボンヤリする頭で見渡すと心配そうなTomoがいた、ホッとした。 

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↑手術室から回復室へ戻ってきた私、まだ覚めてません。

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 ↑術衣の滑り止め付き靴下、これは記念にもらえます。 

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↑患者のデータはすべて二次元バーコード、名前すら書いていません。 

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↑目が覚め、痛み止めを飲むためにクッキーを食べさせられた。 
実はこの時まだちゃんと覚めていません。
異常に喉が渇く感じがして水をもらった記憶はありますが、
この後更に大きなカップでゴクゴク噎せながら飲んでいたらしい。

で、ビスケットは塩付きかなしかどっちがいいかと聞かれたけど
まだボォーっとしていて話すことができなかったんだけど
そしたら甘いのを持ってきてくれた。
これも噎せてしまいうまく食べられなかった記憶はなんとなくある。

しかし、このどれも全麻が覚めてないのに与えると肺に入ったりして
良くないのにね、米人は痛みに弱いのか?鎮痛剤を飲ませることを
優先するようです。




たぶん気管内挿管したせいで喉が痛かったのを喉が渇いてるのと
勘違いしていたんじゃないかと今は思うんだけど、ゴクゴク飲んだせいで
またお手洗いに行きたくなった。

で、自分で歩いて行こうとしたら足元がふらついて看護師さんが
手伝ってくれた。で、用が終わったらこのボタンを押してねと言われたので
押したのだが誰も来る気配がない。

またフラフラと個室を出たら、目の前に車椅子が置かれていた。

ん?これに座って待ってればいいの?

まだ朦朧とする頭ではどうすればいいのか考えられず、ひとまず座ってみた。


誰も来ない(笑)


エクスキューズ ミー!
と、声を発したものの声になっていないらしく誰も振り返ってくれない。
諦めてトイレを眺めながらウトウトしていると、一人の看護師さんが
来てくれた。「ベッドに戻りたいの?」ウンウンと頷くのが精一杯だった。

ベッドに戻してもらい、Tomoが車を取りに行っていることを聞いた。

そういえば回復室に戻ってきた時に「今日帰るの?」と看護師さんに聞かれた。
私たちは日帰り手術と聞いていたんだけれど、この時に泊まりたいと言えば
一泊して、翌朝から術後の生活の仕方などをフィジカルトレイナーさんから
受けられたそうだ。

しかも下に落ちた物を拾うマジックハンド的な物や、ふくらはぎの血流を
促すポンプなどあれこれ備品をもらえたらしい。

そんなアメリカの病院事情を何も知らない私はこのまだ全身麻酔が
覚めていない状態で、今後の生活の仕方も何も知らされていないまま帰宅し
大変な2週間を過ごすこととなる。


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